「コーヒーを愛する全ての人をダイレクトトレードで繋ぐ」TYPICA誕生までの軌跡

「コーヒーを愛する全ての人をダイレクトトレードで繋ぐ」TYPICA誕生までの軌跡

目の前にある一杯のコーヒーはどこから、誰を介してやって来たのか。日頃コーヒーを楽しむ人であれば、恐らく誰もが一度は感じたことがあるこの疑問。コーヒー以外の分野でも「トレーサビリティ」を気にかける人の割合は日に日に増加しています。 コーヒーを生業とする人、こと焙煎に携わる人たちの中には生産者から直接生豆を購入する、いわゆる「ダイレクトトレード」を目指す人も少なくありません。自分が提供するものに責任を持ちたい、コーヒーが飲み物になるまでの物語すべてを顧客に伝えたい、オリジナリティがあり納得できる品質の生豆を仕入れたい、サステナビリティ向上のために公正な取引を行いたいなど、各々がダイレクトトレードに興味を持つきっかけはさまざまですが、1つだけ共通することは、その実現に多大な資本と高い専門性が欠かせないということ。生産国内での輸送や輸出入の手続き、国際決済やリスク管理など、生豆の官能評価以外にもやるべきことは山ほどあり、一般的に利用されるコンテナを埋めるには60kgの生豆が詰まった麻袋を300袋近く購入しなければなりません。

このような種々の課題から、高い志を持ちながらも自分たちが大切にする価値をビジネスに反映しきれない。そんな人たちの悩みを解決しようと2019年に誕生したのが、ダイレクトトレードを促進するオンラインプラットフォームTYPICAです。生産者とロースターの距離を縮めることを目標とするこのプラットフォーム。その誕生の裏には、現状のシステムに疑問を抱くある人物の姿がありました。

 

「なぜ?」の重要性

TYPICA代表として創業からアフリカや中南米の生産国と日本、そして現在拠点を置くオランダを飛び回っている山田 彩音さん。学生時代カフェでアルバイトをしていた彼女ですが、本格的にコーヒーを仕事にしたいと考えるようになったきっかけは、旅行先のサンフランシスコで出会ったまったく新しいコーヒー体験だったと言います。「コーヒーに関する仕事の中でも、特に焙煎業は男性中心で職人の世界というイメージを持っていました。でもちょうどスペシャルティコーヒーの文化が花開きつつあったサンフランシスコのカフェを訪れたときに、タトゥーをいれた若い女性が音楽を聴きながら焙煎をする様子を目撃したんです。なんてかっこいいんだ、そしてなんてオープンな世界なんだ、とその人から目を離せないほど衝撃を受けました」。そこで味わったコーヒーも以前慣れ親しんでいたものとは大きく異なるものでした。「それまでは産地や焙煎度合いの違いによる傾向をなんとなく把握している程度でしたが、実体験としてコーヒーの風味がどれだけ大きく変化するかを感じたのもそのときが初めてでした。この体験から生産地やテロワールという概念への興味が一気に膨れ上がりました」。

熱の冷めぬまま日本に戻った彼女は、再度コーヒーを仕事にしたいと考えるようになります。そのときたまたま、大学卒業後に勤務していた企業がスペシャルティコーヒー事業を始めるという話を聞き、焙煎所の立ち上げを担当することになりました。しかし焙煎士として仕事を続けるうちに、ある壁に直面します。「本格的にコーヒーにのめり込んだきっかけがテロワールへの興味だったので、焙煎の仕事に携わるうちに色んな生産国を訪れたいという気持ちがどんどん増していきました。でもロースターだと自分たちの買い付け以外の目的で生産地を訪れることはありませんし、かなりの量を販売しないと複数の国の生産者と関係を築くことはできません」。夢を叶えるには規模の拡大が不可欠だという現実を突きつけられたのです。

また彼女は生豆の取引のあり方にももどかしさを感じ始めていました。トレーサビリティが重視されるスペシャルティコーヒーの世界においても個々の生産者に関する情報は手に入りづらく、「From seed to cup」の体現のためにはもっと改善できる点があるのではないかと考えていたのです。

ちょうどその頃山田さんは、ビジネスを通して社会問題の解決を目指す連続起業家で、後にTYPICAを共同創業する後藤 将さんと出会います。後藤さんの事業と、自らが抱える課題との間に共通点を見出した山田さんはコーヒー事業の立ち上げを提案。早速2人で新たなアイディアを模索し始めます。そして両者の夢の実現に向けたファーストステップとして2017年に誕生したのが、焙煎機を時間貸しするシェアロースターでした。このアイディアは、コーヒー事業を立ち上げる過程で訪れたニューヨークで着想を得ました。家賃の高いニューヨークでは、焙煎業をはじめるハードルが高く、1台の焙煎機を何人ものバリスタがシェアしながら営業していたのです。都市部の家賃の高さは世界共通にもかかわらず、日本には「なぜ」この仕組みがないのか。その疑問の答えを探すうちに自然とこのビジネスが生まれたと山田さんは言います。

とはいえ生産国と深く関わる仕事をするという目標は変わらず、シェアロースターの営業と平行する形で生豆輸入事業の構想も膨んでいきます。まずは生産国を訪れないことには始まらないと考えた2人は、初めてのオリジントリップの舞台にキューバを選びました。コーヒーの生産国としてはメジャーとは言えないキューバですが、その分まだ日本に流通していないコーヒーがあるのではないかと考えたのです。また当時から生豆の流通に携わるなら、生産地の物語を共有したいという想いを持っていた2人。実際にキューバを訪れるとその文化や歴史の虜になり、俄然やる気が増してきました。しかしここでも規模の壁に直面します。「そのとき考えていた購入量では少なすぎて、輸送費を考えるとビジネスとして成り立たないとすぐに分かりました。そして渡航滞在費を含めた全体のコストを考慮すると、やはり企業としての体力が相当必要だということを再認識しました」と当時を振り返る山田さん。

日本に帰国した彼女の頭に浮かんだのは、「なぜ」自分と同じような課題を抱えている人が自由に集まってオープンな形で生豆を共同購入する仕組みが存在しないのかということ。そしてこれだけインターネットが普及した世の中で、「なぜ」こんなにも生産者との間に距離があるのかという疑問でした。

そんな彼女にヒントを与えてくれたのが、シェアリングエコノミーの形成に大きな影響を及ぼしたAirbnbやUberなどのオンラインプラットフォームです。これらのサービスの特徴は使われていない資産や労働力と顧客をマッチし、新たな体験を生み出すこと。コーヒー業界でも同じ仕組みが機能するのではないか、と山田さんは睨んだのです。輸出のためのリソースを持っていない小規模生産者でもコーヒーを出品でき、それをトレーサビリティ向上を目指すロースターが直接購入できるようになればきっと「なぜ」が解消されるはず。それぞれの生産者やロースターは小規模でも、両者を束ねることで「規模の壁」を越えられるはず。こうして徐々にプラットフォームの骨格が築かれてゆき、2019年、遂にTYPICAが誕生しました

 

対面と遠隔のバランス

プラットフォームの開発が進む中、山田さんは生産国のパートナーを見つけるべく、コーヒー誕生の地エチオピアを訪れました。しかし渡航直前になっても、面談の約束を取り付けられたのはすでに日本への輸出実績があるMoplaco社のみで、それ以外にコンタクトを試みた企業からは何の連絡もない状態。それでも初めからすべてうまく行くわけないと腹をくくり、そのままエチオピアへ飛び現地で改めて他の企業と連絡をとることに。アディスアベバ市内に着いてから連絡をとってみると、渡航前は音沙汰のなかったWete Ambela社からすぐに返信があり無事取引を開始することができました。

「エチオピアでの経験を経て、プラットフォームはインターネット上にあるとしてもその裏には当然人間がいて、その人たちの信頼を勝ち取ることがプラットフォーマーとして最も重要なことのひとつであると実感しました」と語る山田さん。

エチオピアでの成功体験に後押しされ、半年の間にグアテマラとニカラグアでも提携先を開拓。実際に生産者と交流するうちに、山田さんのTYPICAへの自信も深まっていきます。なかでも生産者が興味を持ったのが、顧客となるロースターから直接フィードバックを得られる機能でした。これまではインポーターやエクスポーターを通じて、おおまかな市場の動向や顧客の好みなどを耳にすることはありましたが、ロットごとにロースターから直接感想を聞く機会や、どのロースターが自分たちのコーヒーに興味を持っているといった情報はなかなか手に入れることができなかったからです。

これまでにパートナーシップを結んだ生産者の中で特に印象に残っているところを尋ねたところ、山田さんからはボリビアのNAYRA QATA社の名前が挙がりました。ボリビアのスペシャルティコーヒー企業として有名なAgricafe社で20年以上経験を積んだJuan Boyan Guarachiさんが設立したNAYRA QATAは、小規模生産者が栽培したコーヒーばかりを扱っており、TYPICAとの取引が始まるまで海外にコーヒーを輸出したことさえありませんでした。しかしTYPICAの理念やプラットフォームの仕組みに共感したJuanさんは、まだ世に知られていない生産者のコーヒーを世界中のコーヒーラバーに届けるチャンスだと協業を快諾。流通のかたちが変わることで、生産者の暮らしやビジネスの視野、さらに人生までもが変わるということが予見できたこのコラボレーションはまさにTYPICAが生まれた理由であり、山田さんが長年夢見ていた瞬間でした。

 

キャラバンが行く

先述のようなプロセスを経て輸入したコーヒーを、生産者の熱意と共に日本へ届けるためにはどうしたらよいのか——TYPICAのチームが考えついたのは「キャラバンツアー」というアイディアです。その内容はサンプルを携えて日本全国を行脚し、各地でカッピングイベントを開催するというもの。さらにオンラインビデオ通話サービスを利用し、参加者がカッピング中に現地の生産者をとりまとめるパートナー(TYPICA用語でキュレーター)と直接コミュニケーションがとれるようにもしました。

もちろんサンプルを郵送して個々にカッピングしてもらう方が効率的で、移動に必要な時間やコストもかかりません。しかしそれではTYPICAが目指す未来を共有しづらいため、オランダに住む山田さんと日本に住むチームメンバー、そして生産地のパートナーが参加者と同じ時間を共有できるようにしようと考えたのです。

2020年だけでも国内9都市で16回のカッピングイベントを開催し、キャラバンツアーに参加したロースターの反応は上々。コーヒーの品質だけでなく、生産者に支払われる金額や輸送費、そしてTYPICAの収益まで含めた価格の内訳が確認できる機能、そしてカッピングイベントにおける生産者とのコミュニケーションは特に好評でした。

また対面でのカッピングイベントには嬉しい誤算もあったそう。カッピング参加者の中には10年以上のキャリアを持つ経験豊富な焙煎士から、近々開業予定という駆け出しの人まで幅広いバックグラウンドを持った人がいました。そしてそれぞれがフィードバックやコメントを共有することで、カッピングイベントがある種のワークショップとして機能していたのです。またキャラバンツアーを終えた後にサンプルを送付した際にも、実はTYPICAユーザーが集まって各地で小規模なカッピング会が自然と開催されていたのです。

 

縁の下の力持ち

創業からわずか1年足らずで6か国、500 軒を超えるコーヒー農園のマイクロロット・ナノロットをオファーできる環境が整い、日本全国500件近くのロースターが参加するプラットフォームへと進化したTYPICA。そのスピードは衰えることを知らず、日本だけでなくヨーロッパのロースターの参加も決まり、相互レビューなど生産者とのコミュニケーションツールの拡充や、倉庫保管や掛け払い決済システムの充実にも取り組んでいます。しかしどれだけプラットフォームが成長してもTYPICAの役目は橋渡しであり、主役は生産者とロースターだと山田さんは言います。

「従来の生豆輸入業の道を選んでいたら、短期間でこれほど多くの生産者やロースターと関係を築くことはできなかったでしょう。これは現在プラットフォームに参加してくれている生産者やロースターが、TYPICAのことを信じてくださった結果でしかありません。新しい人との出会いや交流の機会が減った今だからこそ、TYPICAを通じてコーヒーを愛する世界中の人たちがつながり合えるようになれば本望です」。