
カップが示す方角へ
旅先で心が躍る瞬間——それは、ガイドブックには載っていない、地元の人だけが知る場所を見つけたときではないだろうか。だが、そんな高揚感は偶然手に入るものではない。その土地の人の見る景色に触れるには、まずは知らない街で道に迷う勇気を持つこと。それが、旅を少しだけ特別なものにしてくれる。
Published in Standart Japan Issue 37
旅は、人生における大きな喜びのひとつだ。それだけに、行き先や過ごし方は入念に考えるに越したことはない。朝のコーヒータイムが世界共通の習慣である以上、コーヒーショップには、その街のリズムや空気が色濃く表れる。信じられないというなら、次に旅先を訪れたとき、日の出とともに街を歩いてみてほしい。まだ店々のシャッターが下りたままの、カウンター越しにコーヒーが淹れられる前の街は、昼間とはまったく別の場所のように感じられる。そんな考えから、私は今回、仕事で世界中を飛び回る3人のコーヒープロフェッショナルに話を聞き、旅先での時間を最大限に楽しむための流儀を尋ねた。

あなたの“居場所”を見つける
知らない土地に降り立ったら、本格的な探索へと繰り出す前に、まずは街の空気をつかむことが大切だ。温かなもてなし、その土地ならではの味わいや、豊かな物語——そのすべてを備えたスペシャルティコーヒーショップは、どんな旅においても最高の出発点として申し分ない。特に東京のような、無数の選択肢に圧倒されてしまう街では、誰の案内を頼りにするかひとつで、旅の景色は大きく変わる。
目黒川沿いに店を構える「Switch Coffee」の大西正絋さんは、東京でもひときわ表現豊かな焙煎を手がけるロースターのひとりだ。コーヒーはもちろん、食やワインのシーンにも深く精通している一方で、その佇まいはどこまでも自然体。彼とチームが何より大切にしているのは、店先の長いベンチで思い思いに過ごす常連客や、通勤途中、あるいは犬の散歩の合間にふらりと立ち寄る地元の人々である。2007年、大学在学中にコーヒーの世界へ足を踏み入れた大西さんは、その後オーストラリアのメルボルンへ渡り、焙煎の名手として知られる石渡俊行さん(短い間だがハウスメイトでもあった)のもとで経験を積んだ。その後、日本へ戻ると福岡のハニーコーヒーで井崎克英さんに師事。2013年にSwitch Coffeeをオープンした頃には、日本のスペシャルティコーヒーシーンを牽引する新世代の一員として、その存在を確立していた。
そんな大西さんが、旅先や買い付け先で面白い場所を見つける方法が、「その土地に住む友人に聞くこと」だというのも納得がいく。アルゴリズムが次々と表示する「おすすめ10選」のようなリストではなく、実際にその街で暮らす人の言葉を頼りにするのである。もちろん、そうしたリストも「良いローカルスポットを知らない一般的な旅行者には役立つ」と大西さんは話す。しかし、それだけに頼っていては、コーヒー好きだからこそ得られる大きな強みを見落としてしまう。私たちは日々コーヒーを淹れ、味わうなかで、文化や国境を越えて通じ合える共通言語をすでに身につけているのだ。そう考えれば、コーヒーに夢中な人ほど、旅先で「知り合いがいない」という状況は意外と少ない。

旅に出る前の下調べは欠かせないが、それでもその店に本当に並ぶ価値があるのかを確かめるなら、まず尋ねるべき相手は地元のバリスタだ。そして、カフェで朝の一杯を待つ列で偶然出会うコーヒー好きたちも、きっと頼もしい情報源になってくれるだろう。もっとも、知り合ったばかりの相手にいきなりおすすめを聞き出そうとしても、あまり良い印象は与えない。そこで、やるべきことはとてもシンプル——知らない者同士のままでいないことだ。「新しい街では、バーへ行ってコミュニティに飛び込むのが、いつもの友達のつくり方です」と大西さん。「目黒でSwitchを始めた頃は、僕もこの街では新参者でした。だから近所のバーやレストランに通うようにしたんです。ワインやビールがおいしい店には、たいていいいコミュニティがありますから」
次の旅では、自分が心から居心地がいいと思えるコーヒーショップを、できるだけ早く見つけてみてほしい。Switch Coffeeのように、まず地域の人々に愛され、その結果として旅行客からも支持される店ならなおさらだ。そして、その店を旅の毎日のルーティンに加えてみよう。思いがけない物語や、足を延ばす価値のある場所、さらには訪ねるべき人の名前まで、自然と集まってくるはずだ。そして自分の居場所を見つけたなら、いよいよ質問の出番だ。ただし、会話には誠実さと思いやりを忘れてはならない。「東京で一番おすすめのコーヒーショップは?」と漠然と尋ねるより、「クリーンなウォッシュトのエチオピアが好きなんですが、ほかにおすすめのお店はありますか?」と聞いたほうが、ずっと良い答えが返ってくるだろう。苦手な食べ物や飲み物、予算のことも遠慮せず伝えていい。一杯のコーヒーや一度きりの体験を、その人にとって最高のものにしたい——そんな気持ちを誰より理解しているのが、ホスピタリティに携わる人たちなのだから。


寄り道のための余白
とりわけ到着して最初の数日間、旅先で吸い込む新鮮な空気には、心を癒し、新たな活力を与えてくれる不思議な力がある。その感覚をできるだけ味わおうと、隙間なく予定を詰め込んでしまう人も少なくない。だが、カーリー・グリーンは、むしろ予定外の寄り道こそ、思いがけない街の魅力と出会うチャンスだと話す。
カーリーは、そんな“サイドクエスト”を何より愛している。いや、彼女のスペシャルティコーヒーでのキャリアそのものが、一つの寄り道から始まったと言ってもいいかもしれない。大学でソーシャルワークを学びながら、ウガンダでのボランティアプログラムに参加していた彼女は、「アメリカへ戻ったら自分のコーヒーを売る手伝いをしてほしい」と言う現地のコーヒー生産者と出会った。この出会いが、彼女の人生を大きく変えた。彼女は生産者からの依頼をきっかけに、帰国後、当時ロサンゼルスのHandsome Coffee Roasters(ハンサム・コーヒー・ロースターズ)でグリーンバイヤーをしていたチャーリー・ハベガーとカッピングテーブルを囲むことになる(同店は後にBlue Bottle Coffeeによる買収を経て、ロサンゼルスの焙煎拠点となった)。カーリーはそこで初めて、コーヒーのテイスティングやスコアリングを行い、その瞬間、「ソーシャルワークでは、ここまで夢中にはなれない」と直感したという。
以来、カーリーは生豆の調達から品質管理、マーケティング、消費者教育まで幅広い仕事を経験してきた。Blue Bottle Coffeeに務めるなかでは、「15店舗ほどだった会社が、世界135店舗へと成長していく様子を見届けました」と彼女は振り返る。その後はスタートアップ企業Cometeerへ移り、さらに独立してフリーランスのコンサルタントとして活動を開始。ヨーロッパへ拠点を移すとともに、Instagramの「@coffee.with.carly」を通じて、教育コンテンツの発信にも力を注いでいる。そうした変化のなかでも、彼女は旅をすること、そして旅先で道に迷うことを何よりも大切にしている——それはパートナーとも共有している価値観だ。新しい街を訪れるときは、多くの人と同じように、まずパートナーと共有しているGoogleマップのお気に入りリストを開くというが、そこで終わらないのがカーリーらしい。「その街の人たちが好きなエリアも必ず調べます。そういう場所には、たいてい良いコーヒーショップがありますから」

街中に点在するスポットを次々と巡るのではなく、一つのエリアにある気になる場所をまとめて歩けば、その合間に生まれる余白も自然と楽しめる。「まずは地元の人が集まる場所を探して、そこにあるコーヒーショップを一軒選びます」とカーリー。「そこを起点に公共交通機関を調べて、そのエリアを歩き回るんです。街の空気をつかめたなと思ったら、次のエリアへ向かいます」。時間に追われるように次々と目的地を巡る旅は、予定が少し遅れただけでもストレスになりやすい。その結果、本来新しい土地が与えてくれるはずの発見や冒険の感覚を、自ら手放してしまうことにもなる。「旅では、出会うものすべてが新しいものだから、脳が自然と柔らかくなるんです」とカーリーは説明する。「でも、予定にない行動を取り入れると、その感覚はもっと大きくなります。状況に合わせて判断して、自分が本当にいいと思うものを選ぶことになりますから。価値観が変わる瞬間は、たいてい予定外の出来事のなかにあるものです。その途中で誰と出会うかなんて、誰にもわかりません」
だからこそ、新しい土地でおいしいコーヒーと素晴らしい時間を楽しむためには、心を開いて歩くことが重要なのだ。もちろん「魅力的なブランドづくりやオンラインでの発信に力を入れている店は、空間づくりや体験の質まで丁寧に設計されていることが多い」ことは、カーリーも認めている。だが、いわゆるスペシャルティコーヒーの“お決まりのセオリー”に沿った店だけが、良い店とは限らない。結局のところ、大事なのは飲んでみることだ。「おいしいバッチブリューを淹れてくれるお店なら、それだけで十分うれしいですからね」とカーリーは笑いながら話す。抽出器具やテイスティングノートばかりを気にする時間を少し減らせば、その土地に暮らす人たちの目線で街を見る余裕が生まれる。そして、先ほどのSwitch Coffeeの大西さんと同様に、カーリーもこう語る。「お店の人と打ち解けたら、地元のおすすめを聞く絶好のタイミングです。やっぱり、その街のことを一番よく知っているのはバリスタですから」——たとえそれが、その日の予定にはなかった場所だったとしても。寄り道は、旅を特別なものにするための必須条件ではない。けれど、とびきり思い出深い旅は、案外そんな予定外の一歩から始まるものなのかもしれない。

書き留め、持ち帰る
旅先で得られる澄み切った感覚は、その土地を離れるときに置いてきてしまうには惜しいものだ。周囲をよく観察し、出会うものを一つひとつ丁寧に味わえば、その土地ならではの魅力や個性が見えてくる。そして、その気づきは、日常へ戻ったあともきっと大きな財産になる。
コロンビアのメデジンを拠点に、輸出事業とロースタリー、カフェを展開するPergamino(ペルガミーノ)のゼネラルマネージャー、ペドロ・エチャバリアにとっても、海外の取引先や国内の生産地を訪れる旅は、会社の礎となる数多くの着想を与えてくれた。海外で出会った新しいアイデアを取り入れながらも、コロンビアらしさに溢れたブランドを築けたのは、その積み重ねがあったからだとペドロは説明する。「僕たちが初めてスペシャルティコーヒーに心動かされた“アハ体験”は、2012年、輸出事業を始めて2年目に訪れたアメリカ・オレゴン州ポートランドでした。StumptownやCoavaのようなコーヒーショップを訪れて、スペシャルティコーヒーが消費者だけでなく、サプライチェーン全体にどう価値を生み出しているのかを目の当たりにしました。それまで生豆の仕事を通して品質やカッピングについては理解していたつもりでしたが、そこでようやくすべてがつながったんです」
その経験を持ち帰り、Pergaminoはその年のうちに最初のカフェをオープンした。

彼らは、当時のコロンビアではまだ珍しかった取り組みも次々と導入した。焙煎技術へのこだわり、ハンドドリップ用のブリューバー、コールドブリュー、産地や精製方法ごとの飲み比べ。「あの頃は、お客さんにケメックスやサイフォンが何なのかを一つひとつ説明していましたね」とペドロは振り返る。「私たちは、ナチュラルプロセスのコーヒーを提供した最初の店の一つでもありました。海外とのつながりがあったからこそ、エチオピアの素晴らしいナチュラルをカッピングする機会があり、この精製方法が生み出す品質の高さを本当の意味で理解できていたんです」
現在ではメデジン市内に12店舗を展開するPergaminoだが、旅を通して学び続ける姿勢は、ますます重要になっているとペドロは話す。「面白いもので、僕たちはいつも二つの世界を行き来しているんです。自分たちらしいものをゼロから生み出したいという気持ちを持ちながら、旅をすると、業界全体のなかで自分たちがどこにいるのか、その現在地を知ることができる。コーヒー業界は、一社だけでは成長できません。多くが中小規模の会社だからこそ、コミュニティとして一緒に成長し、消費者が私たちに何を求め、期待するのか、その基準そのものをともに築いていく必要があるんです」
会社が大きくなった今でも、コロンビア各地でコーヒーを買い付けながら書き留めてきた数々のメモは、Pergaminoというブランドの核であり続けている。「僕たちは、生産地とカフェをつなぐ橋渡し役です。でも、お客さんに提供する一杯や、その背景にあるストーリーこそが、一番のつながりなんですよ」。その考えを象徴するのが、同店で最も人気のコールドドリンク「グアンドロ・コールドブリュー」だ。パネラとレモン、そしてたっぷりの氷でつくる、コロンビアの農村部で親しまれる伝統的な飲み物「グアンドロ」をモチーフにした一杯である。「農園と街を結び、一杯の背景にある人々の物語まで伝えたいんです。僕たちのブランドは、地方の町を旅するなかで出会ったもの、チババスの車窓から見える景色、建築、家々を彩る鮮やかな色彩、そのすべてからインスピレーションを受けています」。旅は、もちろんそれだけでも十分に楽しい。しかし、学ぶ準備さえして出かければ、その価値はさらに大きなものになる。

どれほど旅が好きな人でも、いつかは自宅のベッドや、いつもの日常が恋しくなる瞬間が訪れる。だからこそ、旅の計画を立てるときには、「帰る日」を決めることも忘れてはいけない。意外に思うかもしれないが、旅は長ければ長いほど良いというものでもない。もちろん財布にはそのほうが優しい。だがそれ以上に、終わりがあると知ることで、旅の最後の時間がよりかけがえのないものになる。帰国便のオンラインチェックインを知らせる通知ほど、「目の前の人や景色を、もう少しだけしっかり見ておこう」と思わせてくれるものはない。そして同時に、それは次の旅を思い描き始める絶好のタイミングでもある——たとえ、その目的地が世界のどこか遠い場所だったとしても。
オンライン限定企画:日本を代表するコーヒープロフェッショナルたちに、「カップが示す方角へ」を読んでもらい、自身の旅とコーヒーの思い出を聞きました。記事はこちらから→「旅とコーヒーの思い出」

